白いドーナツ型の内側に接した映像は、白いドーナツ状の外側の円で切り抜かれた映像を、内側の円迄縮小したものである。 映像をある箇所から切り離して、そのまま縮小して余白を出現させる何の変哲もない作品なのに、その余白は単なる余白ではなく、彼方迄続く奥行きがあって透明感もある宇宙空間と映るものである。このことは、わたしにとっても大きな発見となった。浮遊している小さな円の映像と共に画面を見ていると、宇宙空間とも見做せる白いドーナツ状の余白が作用し、内側の白い円の映像が、外側にある映像と同一平面上にあることを拒否し、自立しながら微妙に動き続けていると感じられるのである。 次が、日本を代表する建築家、槇文彦氏の評。
「私がもっとも評価するものの一つに、彼の撮った被写体に対し、その上に白いドーナツ型の円板によって、ある部分を切り取った、〈One’s Point of View〉がある。驚くべきことに、切り取られた部分は白い円環によって完全に上位の被写体から独立し、あくまで被写体の一部でありながら、全く異なったイメージの世界がそこに表出されているのを発見する。恐らく最初の被写体を撮った時には、そうしたイメージが存在することを予想している訳ではないだろう。しかし切り取られたイメージの存在は、全体と部分の間にある的確な輪郭とプロポーションがあって初めて可能なのである。それは一つの創造的行為である。恐らく一つの被写体には、こうしたimaginableな部分が無数に隠されていることを示している。そしてそれぞれの部分は、その中にまた、無数の部分を持っている可能性も示している。(中略)写真のみが可能とするアート、矢萩はここでも無限小の世界の存在を示唆する視覚芸術の新しい地平を切り開いたと言えよう」
最初の作品〈Shot by a Sight〉(1988)を発表してから4年が経過した時に生まれた作品の〈Perceiving by Sight〉。人間の瞳孔がどの様に動くかを機械で読み取り、そこで得られたデータを図式化したものである。
今まさに対象となっている人物や事物の、全体あるいは部分を見て把握する行為に注目すると、あくまでも、その都度、その都度の、一回限りの把握方法であることを知れば、誰もが衝撃を受ける筈。そうなる理由が、人間の視点が、その時の心の有り様、身体の調子等に全て影響されて動くことが必須だからである。同じ素材を見せられても、瞳孔の軌跡が明らかに違ってくることを知っただけでも、視覚に対する興味がより強くなっていくことを感じる。
〈One’s Point of View〉(1994)を制作してから、20年後に制作したシリーズである。〈One’s Point of View〉は一つのドーナツ型の白い余白がある作品だったが、〈Space of Magnetic Vision〉は、白いリングの中にまた白いリングがある作品である。〈One’s Point of...