"Magnetic Generation"は"磁力生成"という意味で、グラフィックデザインの領域から飛び出し、アートシーンにコミットする矢萩喜從郎の、世界に向けたアヴァンギャルドな試みです!

何故、オンラインの私設美術館設立を構想したのか

美術館やギャラリーのパーマネントコレクションに加えてもらうことは、わたしの作品を未来に残していただけることで、ありがたい話である。とは言え、パーマネントコレクションの最大の目的が、遠い未来に残すことにあるとして、日の目を見ることなく倉庫に保管されたままに置かれたなら、パーマネントコレクションを依頼された制作者からすれば実に悲しいことになる。もし、そうではなく近未来に取り上げる状況がある筈、とキュレーターに応じられたとしても、その時に重要になるのが、どの様なコンセプトのもとに構想され、展覧会出展候補作品として、取り上げられるかが、制作者として気になるところ。

その種の不安を幾つも抱いた時に思い浮かべたのが、わたしの全体像を示すオンラインの私設美術館を創設することだった。そうすれば、世界中の人がいつでもわたしの作品を見ることができ、わたしの作品の全貌が誤解されずに理解されると思えたことに因る。

誰でも作品を買い求められるシステムの構築

次に慣習となっていることに対する重要なアンチテーゼと考えたのが……。美術館やギャラリーが、あくまでも無償供与を前提として応用美術の範囲に入るアプライドポスターのパーマネントコレクションを決定している現実に対して。つまり、別の言い方をすれば、美術館やギャラリー側が、アート作品に対してはそれ相応の対価を考えることが普通だが、多くのグラフィックデザイナーが取り組んでいる作品をパーマネントコレクションに値するレヴェルと評した際、無償供与が当たり前と考えていることで、金銭面を考える痛みもなく受容できると捉えていること。

けれども、わたしの場合、コンセプチュアル・ポスターの時は文字が入っていても、文字が一切ないコンセプチュアル・アートに挑戦していることを捉えれば、明らかに世界でも稀有なアートへの取り組みであることは明らかである。サイズは、ポスターと同じだとしても、それはあくまでも仮の姿で、サイズが自在に変化することを想定している。この様に考えを抱いているわたしだからこそ、率先して評価に対する対価を改善して行かなければならないと思ったのだった。

一説には50年後と言われているが、ロシア・アヴァンギャルドという名称が定着することになって、その時代に制作されたアプライドポスターにも光が当たったことで評価されるようになり、アートのマーケットで驚く値が付いた状況も知っている。同じ様なことが、浮世絵の世界でも言えてしまう。廉価で売り出された木版画だったということで、一時期、日本では見向きもされない状況に晒されてしまっていた。ところが1878年に渡仏した林忠正が、積極的にヨーロッパに高値で売り捌いたことが、今日の浮世絵評価の一つの要因になって「ジャポニスム」が一大ブームになったことは、多くの人が知っていること。それでも、幸運にも、歴史的価値のある作品と評されたとしても、金銭的なことを言えばアートディーラーだけが恩恵を受けただけで、当時の浮世絵の制作者は、残念ながら、評価に見合った恩恵を受けられなかったのである。わたしは、そのことを軽く考えてはならないと思う。この様な状況があることが重要なヒントになって、わたしが制作した作品を、美術館やギャラリーに縛られることなく、誰でもわたしのコンセプチュアル・ポスターとコンセプチュアル・アートを買い求められるシステムを考えたのだった

矢萩喜從郎

1952年、日本生まれの矢萩喜從郎は、グラフィックデザイン、コンセプチュアル・アート、写真、建築、彫刻と幅広く活躍の場を広げて活躍している。1980-84年にかけて制作されたコンセプチュアル・ポスターは、言葉から生まれてくるイメージをシルクスクリーン印刷し、言葉が意味する領域の把握、それに概念の変換の試みが行われた。また、その言葉さえも使用せず、概念の変換を試みたものが、オフセット印刷されたコンセプチュアル・アートだった。

グラフィックデザインの道へと進む大きな転機となったのは、1978年。東ドイツの「ベルトルト・ブレヒト誕生80周年記念ポスター」展で入賞、また1980年のポーランド、「ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ」で特別賞、1990年には「ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ」で金賞を受賞し、グラフィックデザインの世界のみならず、コンセプチュアル・アートの世界に大きく羽ばたき活動することになった。それに、写真、建築、彫刻等、多岐に渡る分野で、今もなお活躍していることも加わる。

矢萩喜從郎は日本国内のみならず、1993年のバングラデシュでのアジア・アート・ビエンナーレ、1994年に韓国の国立現代美術館で開かれた「現代日本デザイン展」、2010年のポーランド、ポズナンのポズナン城文化センターで行われた「第2回メディエーションズ・ビエンナーレ」等に招待され参加している。そして、2021-2022年に、「矢萩喜從郎
新しく世界に関与する方法」という大規模な展覧会が、日本の神奈川県立近代美術館 葉山で開催された。矢萩の作品はドイツ、ミュンヘンのディ・ノイエ・ザムルングを皮切りに、世界の多くの美術館でコレクションされている。

Conceptual Poster

Conceptual Art

コンセプチュアル・ポスターから、画面に言葉を入れないことで、アートの領域に踏み込む、コンセプチュアル・アートへ移行していく。わたし自身が驚いてしまったのが、アートの領域に踏み込んだコンセプチュアル・アートの〈Shot by a Sight〉が、1990年の「ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ」で金賞を受賞したこと。少なくとも、わたしがコンセプチュアル・アートの道に進むことになったのは、このシリーズの作品を制作し、受賞したことが契機となったことは間違いない。

受賞した年の1990年とは、前年の1989年にベルリンの壁が壊され、ポーランドもその波にもまれ、日本円で1万円が100万ズロチという超インフレに見舞われていた時期。2年後に行われる筈の授賞式は中止され、4年後の1994年に、前夜祭、展覧会、授賞式が3つの宮殿で行われるぐらい豪華なセレモニーをしていたのは、東欧諸国でのプロパガンダの意味合いがあったからで、それは我々の時を最後に中止になったと聞いた。